×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
16世紀のある晩。
その日、明日に控えた『大事』に備えて、僕は早く寝るようにと言われていた。きっと明日はとても疲れるだろうから、と。
今まで兄がこんな生臭く息の荒い世界に住んでいたのだと思うと、本当に同情はできる。けれど、弁護はできなかった。
兄は道をたがえた。そして僕はそれを正さなくてはいけない。
たくさん血が流れるだろう。それを必要悪とは思わない。本来ならば避けなければならない。けれど、避ける方法が分からない。
僕はあまりにも、幼い。
※
燭台に照らされた廊下が不気味に伸びている。向かうのは兄の私室だ。僕が兄から自立したいと言うと、少し寂しそうな顔をしつつも、兄は部屋を離してくれた。
ドアをたたくと、反応がない。もう一度ドアをたたき、兄を呼ぶ。
「兄さん?」
「今出るよ、少し待ってろ」
いつも通りの柔らかい口調で、兄が答えた。どうやら夜の祈りを邪魔してしまったらしい。ドアを開けた兄は、もう寝る支度を整えていた。
「祈りの邪魔だった?」
「いや、今ちょうど終ったところ」
だから一度目に反応がなかったのか、と勝手に解釈しておく。
「あの…えっと、さ。今夜、一緒に寝てくれないか」
「ほえ?」
ぱちぱち。ぱちくり。
兄が大きく瞬きをした。そして次に、プッと吹き出し、ククククッと笑った。
「な、なんだよ! お前その年で夜が怖いのか!?」
「い、いいじゃないか! たまたま心細い夜だってあるだろ!?」
「あははは、全然構わないさ、おいで」
今だからこそわかる。兄は本当に僕を信用して、信頼して、僕に寄り頼んでいる。元々同じ父から生まれ、同じように時を生きてきた。
兄は生臭い血と思惑と政治の海の中に。弟は、沈んだ兄の身体を引き上げるために湖面に足をつけている。僕は海の中を知らないし、海の中をのぞいたこともない。
僕は、ずっと祈りに明け暮れ、聖書を読み、学び、研究していればよかったのだから。
世の中がお金で動いていることは知っていても、たくさんのお金を集めるための手法を僕は知らなかった。
「シングルベッドだから狭いぞ?」
「うん、いいよ」
「しかしお前なんて、俺よりずっとしっかりしてるくせに…。やっぱりまだまだおにーやんが必要なんだなぁ」
あっけらかんとした兄の笑顔が、心に刺さる。燭台の炎が遠くてよかった。兄がベッドの準備をしながら、俺さあ、と唐突に言ってきた。
「実は、不安なんだ」
「え、何が?」
「お前がどっかに行っちまう気がして」
ビクッ!
僕は心臓をわしづかみにされたように息をのみこんだ。
「前は何でも、おにーやんおにーやんて俺の周りを…」
兄さんが何かを言っている。でもそんなことはどうでもよくて、僕はつい、兄さんに呼びかけ、強く抱きついた。わずかに僕のほうが小さい。兄の耳が、僕の目の前にある
。
「僕たち主の名において一つだ。パウロだってそう言ってるじゃないか」
「…そうだな。大丈夫だ。お前はいい子だし、よく祈っているし、よく聖書も読んでいるし」
自慢の弟だよ、と、兄は自分自身を勇気づけるように僕の頭をなで、額にキスしてくれた。
「ほらほら、よい子はねんねの時間だぞぉ」
「…そこまでよしよししなくたっていい」
近づいて分かった。少し無理をしているかのような兄の疲れた笑顔。ベッドに僕を引き込み、小さいころしてくれたように僕の肩を抱く。多分無意識にやっているんだろう
。本人は早速目を閉じている。僕も眼鏡をはずし、兄の胸にすりつくようにしてベッドの中に入った。
とくん、とくん、と聞こえる兄の鼓動。幼い時、聖書の言葉におびえたときは、いつも兄や父がこうして胸の音を聞かせてくれていた。
「はぁ…」
ぎゅ、と兄の寝具を握り、涙をこらえる。僕は明日、何が起こるのか知っている。僕の異様な雰囲気に気がついたのか、兄は目を覚まし、ほら、と、僕を抱きしめた。
「大丈夫だ。おにーやんがサタンもデーモンも、みぃんな追っ払ってやるから」
安心して眠っていいんだぞ。無言で兄は僕に語りかける。
そうじゃない。僕が悲しんでいるのは、貴方がサタンと罪人の違いが分かっていないからだ。僕が、貴方と同じ世界に立ってしまったことだ―――。
※
深夜、一度僕は目を覚ました。兄は僕から離れ、ぐうぐうとよく眠っている。そっと顔をこちらに向けると、結構安らいだ顔をして眠っている。疲れてはいるようだが、良
質な睡眠はとれているらしい。
「兄さん…」
眠る兄に、僕も口づける。おそらくこれを最後に、僕たちは今後触れ合うことさえできないだろう。
「兄さん…ごめん」
真っ暗な中、兄の顔の輪郭をなぞる。名残惜しくて、もう一度キスをした。考えてみれば僕は、兄や父には有り余るほどのキスをもらっていたが、僕からは挨拶やお返しく
らいにしかキスをしたことがない。自発的にするには、兄も父もあまりに遠くて、僕は二人に教えられたり与えられたりしたものの処理をするのに精いっぱいだったからだ。
僕は兄の頬にキスをし、もし起きていたら聞こえるように言った。
「兄さん…愛している」
でも僕は、真理より大事なものなんて、与えられていないんだ―――。
END
昔のブログから再録。
宗派が分かれる喜びと悲しみ。
その日、明日に控えた『大事』に備えて、僕は早く寝るようにと言われていた。きっと明日はとても疲れるだろうから、と。
今まで兄がこんな生臭く息の荒い世界に住んでいたのだと思うと、本当に同情はできる。けれど、弁護はできなかった。
兄は道をたがえた。そして僕はそれを正さなくてはいけない。
たくさん血が流れるだろう。それを必要悪とは思わない。本来ならば避けなければならない。けれど、避ける方法が分からない。
僕はあまりにも、幼い。
※
燭台に照らされた廊下が不気味に伸びている。向かうのは兄の私室だ。僕が兄から自立したいと言うと、少し寂しそうな顔をしつつも、兄は部屋を離してくれた。
ドアをたたくと、反応がない。もう一度ドアをたたき、兄を呼ぶ。
「兄さん?」
「今出るよ、少し待ってろ」
いつも通りの柔らかい口調で、兄が答えた。どうやら夜の祈りを邪魔してしまったらしい。ドアを開けた兄は、もう寝る支度を整えていた。
「祈りの邪魔だった?」
「いや、今ちょうど終ったところ」
だから一度目に反応がなかったのか、と勝手に解釈しておく。
「あの…えっと、さ。今夜、一緒に寝てくれないか」
「ほえ?」
ぱちぱち。ぱちくり。
兄が大きく瞬きをした。そして次に、プッと吹き出し、ククククッと笑った。
「な、なんだよ! お前その年で夜が怖いのか!?」
「い、いいじゃないか! たまたま心細い夜だってあるだろ!?」
「あははは、全然構わないさ、おいで」
今だからこそわかる。兄は本当に僕を信用して、信頼して、僕に寄り頼んでいる。元々同じ父から生まれ、同じように時を生きてきた。
兄は生臭い血と思惑と政治の海の中に。弟は、沈んだ兄の身体を引き上げるために湖面に足をつけている。僕は海の中を知らないし、海の中をのぞいたこともない。
僕は、ずっと祈りに明け暮れ、聖書を読み、学び、研究していればよかったのだから。
世の中がお金で動いていることは知っていても、たくさんのお金を集めるための手法を僕は知らなかった。
「シングルベッドだから狭いぞ?」
「うん、いいよ」
「しかしお前なんて、俺よりずっとしっかりしてるくせに…。やっぱりまだまだおにーやんが必要なんだなぁ」
あっけらかんとした兄の笑顔が、心に刺さる。燭台の炎が遠くてよかった。兄がベッドの準備をしながら、俺さあ、と唐突に言ってきた。
「実は、不安なんだ」
「え、何が?」
「お前がどっかに行っちまう気がして」
ビクッ!
僕は心臓をわしづかみにされたように息をのみこんだ。
「前は何でも、おにーやんおにーやんて俺の周りを…」
兄さんが何かを言っている。でもそんなことはどうでもよくて、僕はつい、兄さんに呼びかけ、強く抱きついた。わずかに僕のほうが小さい。兄の耳が、僕の目の前にある
。
「僕たち主の名において一つだ。パウロだってそう言ってるじゃないか」
「…そうだな。大丈夫だ。お前はいい子だし、よく祈っているし、よく聖書も読んでいるし」
自慢の弟だよ、と、兄は自分自身を勇気づけるように僕の頭をなで、額にキスしてくれた。
「ほらほら、よい子はねんねの時間だぞぉ」
「…そこまでよしよししなくたっていい」
近づいて分かった。少し無理をしているかのような兄の疲れた笑顔。ベッドに僕を引き込み、小さいころしてくれたように僕の肩を抱く。多分無意識にやっているんだろう
。本人は早速目を閉じている。僕も眼鏡をはずし、兄の胸にすりつくようにしてベッドの中に入った。
とくん、とくん、と聞こえる兄の鼓動。幼い時、聖書の言葉におびえたときは、いつも兄や父がこうして胸の音を聞かせてくれていた。
「はぁ…」
ぎゅ、と兄の寝具を握り、涙をこらえる。僕は明日、何が起こるのか知っている。僕の異様な雰囲気に気がついたのか、兄は目を覚まし、ほら、と、僕を抱きしめた。
「大丈夫だ。おにーやんがサタンもデーモンも、みぃんな追っ払ってやるから」
安心して眠っていいんだぞ。無言で兄は僕に語りかける。
そうじゃない。僕が悲しんでいるのは、貴方がサタンと罪人の違いが分かっていないからだ。僕が、貴方と同じ世界に立ってしまったことだ―――。
※
深夜、一度僕は目を覚ました。兄は僕から離れ、ぐうぐうとよく眠っている。そっと顔をこちらに向けると、結構安らいだ顔をして眠っている。疲れてはいるようだが、良
質な睡眠はとれているらしい。
「兄さん…」
眠る兄に、僕も口づける。おそらくこれを最後に、僕たちは今後触れ合うことさえできないだろう。
「兄さん…ごめん」
真っ暗な中、兄の顔の輪郭をなぞる。名残惜しくて、もう一度キスをした。考えてみれば僕は、兄や父には有り余るほどのキスをもらっていたが、僕からは挨拶やお返しく
らいにしかキスをしたことがない。自発的にするには、兄も父もあまりに遠くて、僕は二人に教えられたり与えられたりしたものの処理をするのに精いっぱいだったからだ。
僕は兄の頬にキスをし、もし起きていたら聞こえるように言った。
「兄さん…愛している」
でも僕は、真理より大事なものなんて、与えられていないんだ―――。
END
昔のブログから再録。
宗派が分かれる喜びと悲しみ。
PR
コメント