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いくそす。~2.5次元で萌と賛美を叫ぶ~

聖書二次創作・キリスト教教派擬人化BL専門サークル「いくそす。」のHP。 腐ったクリスチャン略して腐リスチャンが、腐教(布教ではない)の為に日夜東奔西走するだけの簡単な活動をしています。ここでは主に擬人化BLを置きます。 療養のため各地にはかつき(骨林頭足人)が行ってくれてます。本のご感想はゲストブックか、巻末のメッセージのコードからお願いします。

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パウロとユダとペテロについて本気出して語ってみる

 パウラ的三大萌え&燃えの聖書の人物。パウロ、ユダ、ペテロ。先ずこの三人についておさらい。
 パウロと言えばキリスト史上最初にして最大の神学者。彼がいなければ今日のキリスト教はあり得ない。考え方はどっちかっていうとマーティンくんに近い(単純にマーティンくんがパウロリスペクトなだけだが)。とても真面目で情熱的で、宣教の為に地中海をうろうろする、トルコのテント職人。昼はテント作って夜は宣教。そのせいか禿げとしても有名。何度も死にかけても不死鳥のように復活したが、毛根はそんなでもなかったようだ。。
 ユダと言えば、イスカリオテのユダ、ジーザスの直弟子12人のうち、ただ一人聖人ではない裏切り者の代名詞。福音書(ジーザス愛好家によるジーザスの伝記)によって死に様が違うが、首を吊ったというのが有力。ダンテの「神曲」では身体喰われてたり、はっきり言って遠藤周作がイエスとユダの萌える関係性を書かなければ永劫日の目を見ないような人。だがそこがいい。
 ペテロと言えば、イエスの弟子の中で最も愛され、後の初代教皇(初代さんとローマンくんの先生。ちなみにコニーくんの先生はその弟のアンデレ)。元漁師のくせに湖で溺れかかるし感極まってセーブしようとしたり、他にもいろいろぶっ飛んだ弟子。ちなみにパウロと割礼(tntnの先を切ること)について大喧嘩したのはかなり有名。

 腐った意味でというか、この三人の純情ストーリーで十分腐女子はお腹いっぱいになれると思うの!(ばーん)

 ペテロとユダってね、とても似た者同士だと思うんですよ。ユダはその後裏切り者になるから全くと言っていいほど描写がないんですが(福音書が描かれたのはジーザスの死後)、なんかそんな気がする。うん。ユダは会計係と言われていて、お財布の管理してたんですが、つまりそれってジーザスの信頼を得てたって訳ですよね。当時でお金の計算が出来るのって、教育を受けた証拠なんですよ。そのユダが三人の弟子(ジーザスがいつも優先していた三人の弟子)の中には入っていないっていうのは、ユダのプライド的にどうだったんだろうなって。仮にユダが気にしてなくても、ペテロは多少なりとも優越感に浸ってそう。だってペテロは人間臭いから。
 ペテロもユダもジーザスを裏切ったことがある(しかもペテロは3回)っていうのは、聖書の中で腐女子的に最高に深い意味があると思う。ペテロはその後自殺しないで、ジーザスに謝って許してもらうんだけど、ユダはそんなことしないですぐに自殺してしまう。ユダはジーザスのことも弟子達の事もきっと大好きだったと思う。ジーザスもユダのことも弟子達の事も平等に限りなく大好きだったし、ジーザスの十字架で『救われる罪人』の中にはユダも入っていたと思う。
 なんでそう思えるかと言うと、ユダが裏切ったあと、ジーザスは「ユダは呪われる」とか「ユダは生まれてこない方が良かった」とか言うんですけど、あれって子なる神としての呪いの言葉じゃなくて、憐みの言葉だと思うの。ユダが後世、地獄に落ちたって言われたりとか、顧みられなかったりとかする事に対する憐み。ユダは自殺しちゃったけど、その時点(=ペテロがヘタレの時代)においては、誰よりも救いとかそういう物について悟ってたんじゃないかなあ。そう思うとやたら萌える。自分の罪深さをわかっていたから、ジーザスが輝きすぎて遠くに見えて、最後の瞬間ユダを包んでいたのは後悔よりも絶望だったんじゃないかなあと。ユダはジーザスを人間として見ていただろうしね。
 一方でペテロはペテロで、死んだユダのことを誰よりも気にかけてたら萌える。だって自分は3回裏切って、ジーザスに許してもらうばかりか、その後弟子達の中でトップに君臨するわけだし。ヘタレ時代には多分、ユダのこと嫉妬してたと思う。うん。だってペテロは人間臭いから。自分自身に妙な自信もある人だし。もしかしたら福音書の原本(原語というほうが正しいですが)の中で、ユダが「裏切り者」じゃなくて「引き渡した人」という言い方をされているのは、ペテロの影響があったりしたら萌える。ジーザスは捕まった時、別に隠れちゃいないし(夜とはいえ外にいたし)、ペテロは自分も裏切った罪があるっていうことを脱ヘタレ時代にはちゃんと認識してるとおもんだよね。まあ、その後カトリックの信者にユダがコテンパンにこき下ろされるとは思わなかったろうけど。
 大好きな先生を貶めたユダを憎む気持ちと一緒に、似た者同士という意識もあったと思う。


 …ていう話に入っていけないのがパウロなわけですよ。
 パウロはジーザスの没後弟子だし。あの人のあの性格からして多分嫉妬とかはしない。だって熱血漢だから。自分自身ジーザスに会っちゃったよ宣言してるから、「昔のジーザスに会ってていいなあ」とか多分思わない。でもペテロとぶつかる度に、「ジーザスはどうやってこの人と付き合ってたのかなあ」とかだと凄い萌える。パウロは教皇にこそならなかったけど異邦人宣教の最先端としてバリバリだったし、なんだかんだ言って初代さんに懐かれてるし(新約聖書の半分はパウロが書いてる)最終的に、ペテロとパウロは親友だといいなあ。ペテロがユダのこととか遠く離れた(?)弟の事とか、なんかこう、脱ヘタレ時代でも暗い部分とかあるイメージに対して、パウロって本当に楽しそうに宣教してんですよね。それにペテロが元気づけられてそう。勿論ホーリースピリッツとかにも励ましてもらってると思うけど。

 キリスト者の自分が言うのもなんですが、ユダがもし裏切ってなくって、パウロがサウロ(ユダヤ教のエリートでジーザス達の敵だった頃の名前)としてジーザスの前に現れてもきっと素敵。サウロの耳とかペテロが切り落とすんだよきっと! んで回心した後に誰よりも強いきずなで結ばれるんですね分かります。
 もしユダが裏切ってなかったら、まあ多分他の弟子にオハチが回るんだろうけど、何となくユダはジーザスが死ぬ時逃げた自責の念から、どっちみち首くくっちゃいそう…。



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